[連載]カミングアウト日記 第3回
2016年3月2日
コラム
この新コラムは 最近バブリングのボランティアをスタートしたNORI(ゲイ・31歳)が今年の正月に和歌山に住む家族へカミングアウトするまでの状況・心境を1か月前からつづった日記を連載コラム形式でお届けします。
リアルな今の心の心境・赤裸々に語った過去、家族の話。全力で自分とそしてカミングアウトと向き合ったストーリーです!
本日は第3回。前回のストーリーはこちら
12月10日「自傷」
右腕に残った傷を見ると思い出す、あの頃の僕を。
高校2年生の頃から、僕は自分で自分を傷つけるようになった。きっかけは同じように自傷行為をしている同級生の女子の影響が大きかったのかもしれない。
頻度は月日を重ねるごとに増していき、ピークは大学1,2年生の頃だったと思う。最初の頃は特に理由なんてなかった。だけど感情の出し方が、自分の出し方がよく分からなかった当時の僕にはこれが一つの方法だった。
例えそれが負の感情で、誤った行為であったとしても、当時の僕にはそれが全てだった。流れる血にだんだんと安心感を覚え、そしてこんなことをしているどうしようもない自分に、これが僕なんだと、ダメで生きる価値なんてない奴なんだと思うことで、僕は僕を保っていた。最初の頃は一人でひっそりと行っていた行為も次第に形を変えていった。それはできれば振り返りたくない、多くの人を巻き込み、迷惑をかけてしまったあの頃、18歳から20歳にかけての最低の僕。
12月11日「後悔」
今の僕はあまり過去のことを気にしないし、過ぎてしまったことの後悔も少ない。
だけど後悔しているという言葉が突き刺さるのは18歳から20歳にかけての大学生の頃の僕である。広島に進学し、初めての一人暮らしを覚えた。寂しさや、構って欲しさ、自分を認めて欲しい、分かって欲しい、たくさんの感情が入り混じって、自傷行為を気を引くためや、自分のことを本当に大切に思ってくれているのか、相手の気持ちを確認するように、相手を、人を巻き込んで、繰り返し行為に及んだ。夜中、時間、場所を選ばず、やりたい放題だった。
色々なことが麻痺し、自傷は日常にあり、衝動を抑えることはできなかった。そんなことを繰り返すうちに多くの人が僕から離れていった。それでも僕は大切な人ほど、不安に思い、気持ちを確かめたかったり、近づきたくて同じことを繰り返した。だから僕にとって大切に思う人ほど、僕の近くからいなくなった。誰も僕のことを分かってくれない、と思う反面、僕が悪いんだ、ということもなんとなく分かっていた。
あの頃の僕はとにかく愛と人に飢えていた。
12月12日「先輩」
自傷が止められず、中毒のようになっていた21歳をもう少しで迎える前の20歳の冬。ある人に出会った。
大学のゼミの先輩で見た目は強面だが、心の温かい人でなんだかカリスマ性がある人だった。たくさんいろんな話を聞いてもらった。今までのこと、自傷行為のことも。この頃の僕は、同じことを繰り返して大切に思う人ほど離れていってしまう、そのことが本当に辛くもう同じことを繰り返したくはないと思っていた時期でもあった。先輩の卒業も控えており、2人で飲んでいたときに言われた「大丈夫よ、もうやめたらええんよ。」という言葉。
今でもそのときのことは忘れられない。今変わらなければ、この先ずっと変われない、僕にとってはこのタイミングが全てだった。この日以来今に至るまで一度も自傷行為はしていない。この日「もうしない。この人を裏切らない。」と僕の心に僕自身が強く誓ったからだ。先輩との出会いはとても大きかった。今でもとても感謝している。そして当時もう一つお前に一番必要だと言われた「心をオープンにする。」という今でも心に大切に残っている言葉。
それからもう10年も月日は経ってしまったけれど、やっとこうして今、僕は僕と向き合いながら僕の心を開いている。
「ちょっと時間は経ってしまったけれど、あなたとの約束、ようやく果たすことができました。こんな僕でも変わることができました。」
12月13日「煙草」
自傷行為を絶つと同時に始めたものがある。それが煙草である。
元々運動部でテニスを真剣に取り組んでいたこともあり、煙草を吸うことはなかった。だけど当時の僕にとってはそれに変わる何かが欲しかった、何か身体に悪くて、何か身体を傷つけられるようなものが。それが煙草だった。
身体に悪いことこそが煙草を吸う意味につながり、それはいつしか習慣になり、煙草を吸うダメな僕という感じがなんだか落ち着いて気付けば10年近く吸い続けた。嫌なことを思い、何かを忘れようと煙草を吸っていたこともある。煙草を止めてしまえば昔の自分のようになってしまうのでは、と思うときもあった。
そんな僕も30歳を迎え煙草を止めた。大きなきっかけがあったわけではないけれど、健康のことや、でも一番は煙草がなくても、今の僕は何も変わらない、そう思える気持ちが強かったのかもしれない。偶然なのか、何か意味があるのか、ちょうど友人達にカミングアウトをし始めた時期と同じくらいの時期である。月日が経った今も煙草がなくても何も変わらない生活が続いている。そんなときふと思う。
「僕も少しは変われたのかな。」って。
12月14日「海外」
海外に強く行きたいと思ったのは中学生のときが最初だった。
学校に元青年海外協力隊員の人が来てくれて講演をしてくれて、内容は忘れてしまったけれど、なんだかその人がキラキラしていた、というのは今でも覚えている。こんな僕でも海外に出ればキラキラできるのかなと当時ながら思った記憶がある。
それから月日が経ち大学3年生。就職活動をしていた頃、頭にはよくそのことが浮かんでいた。大学を卒業し、就職をして、人並みに生きようとしている自分、だけどどんなに頑張ってもゲイの僕には、よくある家庭を築いてとか一般的な人生は送れない、そんな葛藤の中、覚悟を決め就職活動を途中で辞め、海外に飛び出る決心をした。
きっと自分の中で何かが変わる、半ばそう信じて、動いてみることにした。今振り返ればこの決断はとても僕の中で大きかったと思う。
僕の人生で一つの始まりはここから。
前を向いて歩いていくという意味の始まりはそう、ここから。
12月15日「ワーホリ」
22歳。僕はオーストラリアへと飛び立った。夏のことである。
初海外だった当時の僕は右も左も何も分からず、全てのことが初めてだらけで、なんだか新しい僕に出会えた気がした。約1年間過ごしたこの時間はここでは書き切れないほどの思い出が満ち溢れている。
自分で決めて自分で行動して、何かあったら自分で責任を取って、辛いことや大変なことも多々あった。だけどそんな日々が僕を強くしてくれた。
何より生きている実感に溢れた。そのことが弱くてどうしようもなかった僕の心を少しは強くしてくれた。当時両親と関わりを強く持とうとしていなかった僕が、18歳で親元を離れて以来、初めて特に用事もないのに両親に僕から電話を掛けた。そのときは色々なしんどいことが積み重なり、どうしようもないほど心が辛かった。
そうなって初めて、その地で頼れるものも何もなくなって初めて、なんだか大切なものに気付けた気がする。それが父と母であった。
弱音を吐いた僕に、温かい言葉を返してくれた優しい父と母の声は今でも忘れられないでいる。
–WriterProfile—————————————-
NPO法人バブリング Nori
男性
セクシュアリティ:ゲイ
大阪で生まれ、現在は児童福祉の現場で働きながら
バブルバーにも不定期でカウンターに入る。
カミングアウトと向き合い、葛藤しながらも自身の経験を伝える為に筆を執る。
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