白日

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2019年10月7日

メンバーコラム

「時には誰かを 知らず知らずのうちに 傷つけてしまったり 失ったりして初めて 犯した罪を知る」

こんにちは、網谷です。
冒頭の文章は、今年2月に発売されたKing Gnu『白日』の歌詞の引用です。

法によって禁じられている行為や事実は、時代や国によって変わります。いつかの日本で許容されていた行為が現代では法に触れたり、今の日本では認められていない事実が他の国では当たり前のように存在しています。法によって判断される『犯罪』自体もグレーな概念だなと私は思っているのですが、人のなかに生まれる『罪の意識』はもっとグレーだなと感じています。

私は高校2年生の頃、友だちの思いやりに気づいていて無視をした罪を抱えました。
彼は高校1年生のときの最も仲の良かった同級生なのですが、進級とともにクラスが分かれて会話をすることも減っていました。ある日、通学中の電車内で、私が座っている席の隣に彼がきて話しかけてくれたのですが、ちょうどその頃の私は、自分がゲイであるということを受け入れられない限界の時期で、彼に隠していることも申し訳ないし悲しいしで顔をまともに見れず、生返事をしてやり過ごし、同じ駅で降りるにも関わらず彼と別れて先に学校へ行きました。

罪-2

誰かの気遣いを無下にすること、ちょっとした悪ふざけ、言葉足らずの発言、些細な嘘、自分を守るための無視や無関心、嫉妬や虚栄などの悪意に満たない感情。映画『JOKER』では、人々の日常における行動や言動によって主人公の魂が削られ続ける様子を描いていましたが、現実の社会で発生する悲しい事件も、人々が生活のなかで起こす僅かな罪の、積み重ねの結果ではないかと私は考えています。

「取り返しのつかない過ちの 一つや二つくらい 誰にでもあるよな そんなもんだろう うんざりするよ」

『白日』の歌詞には上記のような言葉も並んでいるのですが、うんざりするような世界のなかで私たちが共生していくための社会的責任って何なのでしょうか。
人それぞれのなかにある『罪の意識』を確認することはひとつの手がかりになるのでは、と思っていますし、法に触れる程度ではない罪を自覚して抱えながら生きていくことは、その人の寛容度を高めるのではないかとも思います。

強く寛容な社会へ向かうために、不可欠なルートである『罪』について、初めてカミングアウトデーイベントで触れます。ぜひ会場で、皆さんと一緒に感じたり考えられたらと思っています。

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