吃音 – 今は好きな自分が増えてきた[前編]
2018年7月29日
カミングアウトストーリー
吃音を持っている人は成人の0.8〜1.2%にあたり、日常生活において非吃音者が想像するよりも多くの困難があると聞きます。今回は、吃音症をお持ちの菅野さんにインタビューをさせていただきました。
ご自身が吃音の症状に気づいたのは、いつ頃だったのでしょうか?
自分で気づいたんじゃなくて、両親から指摘されたんです。「落ち着けよ、お前」って。すごく連続して喋ってしまうことを、祖父母からも言われたりしました。小学校高学年の時に繰り返し指摘されて、それで自分にはそういうのがあるのかなって。
吃音の症状自体は、もっと前からあったのですか?
症状自体はもっと前からあったと思うんですが、指摘されたのは小学校高学年の時ですね。指摘され続けた結果、自分で意識すると余計に出るようになってしまったんです。中学の時には吃音がピークになって、友だちからは「お前、すごくどもるね(※)」って言われて、自分に吃音があるということが確信に変わりました。
吃音だと気づいて、周りとの関係性やご自身に変化はありましたか?
吃音であることを隠したくて、友だちともうまくコミュニケーションが取れなくなってしまいました。変わり者だったっていうのもあって、ハブられるというか、孤立していましたね。狭い世界、気を許せる狭い世界でだけ喋っていたと思います。他の人の前ではあまり喋りたくないし、気分を盛り上げてテンションを上げていかないと喋れないので、変なテンションで喋って後で落ち込んだりと、情緒不安定でしたね。
うまく喋れないことで、情緒が乱れてしまったということですか?
吃音のこととは別に、父親がおそらく発達障害で情緒が不安定だったので、酒乱で家族も荒れていたし、結構すごかったんですよ。父も親から虐げられて育って、だから家族とうまく接することができなかったのかな。そういう風に家でも安心できないような環境は、吃音にも影響しているのかもしれませんね。
吃音であることと、家庭環境の両方が影響していたのですね。
あと中学で人間関係がうまくいかなかったのは、遺伝的に自分も発達障害の要素を持っているからかな、と。
集団適応ができずに相手に不快な思いをさせても気づかず、気づいたら周りが離れていっている、みたいな。友だちと仲良くやっていると思っていたら、急にサーって人がいなくなって。今は客観視しているので普通に振舞っていますが、中学校時代は病んでいましたね。
コミュニケーションをとる相手が減っていってしまう環境と、吃音症は影響していたと思いますか?
間違いなくしていたと思います。そういう環境で吃音も進行していて、今でいうコミュ障みたいな。初対面の人とは喋れないし、クラス替えは地獄みたいで憂鬱でした。なんとかうまくやろうと思っても喋れないから悪循環で。
高校へ入ってからのことも教えていただけますか?
『高校デビュー』したいなって思って、明るく振舞おうと自分なりに頑張っていました。それで、それなりに理解してくれる人もできて、吃音に対してはあまり言われなかったけど、やっぱり隠そうとしていました。ただ中学よりは幾分マシだったし、部活でもクラスでも自分の居場所的なものはあったかなと思います。
「マシ」というのは吃音の症状がですか?
そうですね。こういう時に噛むな、みたいなことが、自分でもわかってきたので。や行とか「お」とか、苦手なのがわかってきて。『苦手な言葉を違う言い方で言う』のがスキルみたいな感じなんですけど、「お腹が減った」っていうのも、「お」が言えないから「空腹だよ」って言ったり。
中学校生活を経て、手探りで自分の吃音のことがだんだんわかっていったということでしょうか?
そうですね。すごく嫌だったので。漫画のドラゴンボールが好きだったんですが、漫画のようにドラゴンボールを集めて願いが叶うなら、何よりも吃音を治したいと思っていました。
吃音という言葉との出会いは、いつ頃だったのでしょうか?
それは高校に入ってからだと思います。症状のことも含めて、少しずつインターネットで調べたりしていましたね。最初は調べるのも嫌だったんですが。
吃音という言葉を見つけて、ご自身に変化はありましたか?
自分の特性に『輪郭』が出てきたからこそ、生きづらさが余計に明確になったという感じです。「進学のとき、面接どうしよう」とか。実際に大学受験の面接もダメでしたね。勉強もあまりできなかったのですが、軒並み落ちてしまって。面接に向かうプロセスは「自分は障害があるからダメなんだ」と考えて、つらかったですね。面接以外でも、どうしても喋らなきゃいけない自己紹介の時間とか、グループディスカッションの授業とかは本当に嫌でした。
中学・高校の頃に、友だちとの関わりで良かったことや、助けられたことはありますか?
周りから吃音をいじられることが、高校の初めぐらいまでは嫌だったんですが、高校の途中からはいじられたほうが楽かも、と思っていました。自分の吃音が不快じゃないからいじってくれるのかな、関係が深まったから言ってくれるのかな、と。プライドが高かったので、その前はいじられることがすごく嫌だったんですが、逆にいじられる方が楽だな、と思い始められたので、大学からは自分からカミングアウトをし始めました。
それは高校生になって、周りの『いじり方』が変わったのでしょうか?それとも菅野さんの捉え方が変わったのでしょうか?
自分だと思いますね。周りは、そんなに気にしていなかったんでしょうね。自分だけ気にしていたのが、自分の特性と向き合って、相手との関わりもわかったんだと思います。
大学へ入ってからのカミングアウトは、どのように伝えたのですか?
あまりよくは覚えていないんですが、「吃音」って言っても伝わらなかったので、「噛んじゃう」って言っていたかもしれません。
相手の反応は、どうだったのでしょうか?
自分の中にスイッチがあって、いい緊張感があると噛まないんですよ。だから伝える時は噛まないので、「平気じゃん、確かに普段はよく噛むけど、気にならないよ」って言ってくれましたね。
吃音は死ぬほど恥ずかしいって自分では思ってるけど、意外とみんな大ごととして捉えていないというか。自分ではすごく恥ずかしいんですけど、今も。
感情としては、恥ずかしさが一番強いのですか?
恥ずかしさですね。「恥ずかしいー!」っていう感じです(笑)。もう嫌だーみたいな。
大学で人に言うようになって、改めてご自身の中で整理や理解が進んだと思うのですが、就職の面接の時に、向き合い方は変わったのでしょうか?
大学の授業で自分の興味や本当に話したいことが、うまく話せる時もあったのは自信になりました。ゼミの先生に「話すのがうまいね」って言われて、今まではそんなことは対極だと思っていたので。就職面接はうまくスイッチを入れられて、自分でもうまく喋れたし、無事に採用も決まったので、すごく安心しました。それまでは、仕事に就くことができなくて生活保護をもらうしかないんじゃないかな、って思ってたので。
そこまで思いつめていたのですね。
バイト先でも「いらっしゃいませ」が言えなくて、俺やっぱダメだなって思ってたし、声出しの練習が回ってくるんですが、絶対噛むんですよ。いじってもらえるけど、しんどくてしんどくて。きつかったですね。
キッチンスタッフでもコミュニケーションは必要なので無理だし、電話の仕事も無理だったので、どこ行っても無理だなって思っていました。
仕事の選択肢が、すごく狭まりますね。
言語障害を持っている人は国によっては給料が減らされるらしいと聞いて、選択肢が狭まるどころか、普通に働けないんだなって思うと、どうしたらいいんだろうって悩んでいましたね。
吃音症であることで悩み、そして周囲との関わりの中で、時間をかけて自分と向き合ってきた菅野さん。後編では大学卒業後の職場でのお話と、現在のことをお聞きします。
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