IgA賢症&バセドウ病 – くよくよしても、切り替える[後編]
2018年6月11日
カミングアウトストーリー
ご両親は部活について、何か言ってはいなかったのでしょうか?
両親は無理しない方が良いって言っていたんですけど、高校生までは部活も全力でやりたいという思いがあったので。でも、だんだん身体が悪くなっていくのを感じたから、それが本格的な検査と治療に繋がったのだと思っています。悪化しなければ、きっとそのままでした。でも一方で、無病息災ならぬ一病息災かなとも思っていたというか。毎回病院に通えば尿検査もしますし血も採るから、そしたら他の病気も見つかるし、いいかなって。
そうやって中高生時代に腎臓の状態と付き合ってきて、高校3年生で病名がわかった時に、何か思ったことはあるのでしょうか?
IgA腎症の疑いはありましたので「やっぱりか」って感じでした。
難病であることは特に意識されなかったのでしょうか?
それなんですが、今回インタビューのお話をいただいてから「そうなんだ、難病なんだなぁ」って思って、400人に1人でしたっけ?調べたことがなかったので、初めて知りました。
病院で告知されたときに、難病であるということは言われなかったんですか?
言われなかったです。なので難病だと言われていたら、僕の認識自体また違ったのかもしれないですね。加えて、難病という認識がなかった理由のひとつに、僕がIgA腎症の中でも、症状がマシな方だと言われていたこともあると思います。
症状が重い方は、老廃物を腎臓で濾せなくて手や足などにむくみが出てしまうのですが、僕は1回も出てきたことがないんです。自覚症状は身体の疲れくらいだったので、医者にも「君は軽い方だね」と言われていました。同じ病気でも個人差があるから、他の当事者で症状が重い場合、疲労感で仕事ができなくなったり、仕事自体ドクターストップがかかったりする方もいます。
他の当事者に会ったことはあるのでしょうか?
ステロイドパルス療法の入院後、大学1〜2年生の頃に病院で会ったことがあります。最初はわかりませんでしたが、2回診察日が重なったことがあって、少しずつ待合室で会話をしてわかりました。そのときに「むくんじゃうんですよね」「仕事やめなきゃいけないんですよね」と教えてくれました。
もうひとつ抱えていらっしゃるのはバセドウ病ということですが、いつ頃、どのように発覚したのですか?
IgA腎症での入院の前に、バセドウ病がわかったんです。常に内蔵がフル稼働しているような状態の病気なのですが、発覚時はもろに自覚症状が出ていて、発汗が多く、5キロくらい急に痩せるし、動悸も早くて。「ドキドキする、おかしい」って両親に相談をして、かかりつけの病院へ行き、午前中に診察をしたのですが、夕方にはバセドウ病の疑いが強いとわかりました。
その時は、どのようなお気持ちだったのでしょうか?
発覚時は「腎臓でひとつ病気を持っているのに、もうひとつか」と思い、とてもショックでした。検査当日は専門医が不在だったため、詳しい説明がもらえなかったこともあり、不安が大きかったです。親も落ち込んでいたと思います。その後、専門医の診察を受けてバセドウ病であることを告知されました。治療については2種類の薬を処方されましたが、僕の場合すぐに効いたので症状は落ち着きました。
服薬については、いまも継続されているのでしょうか?
はい、ひとつはIgA腎症の方で尿蛋白を減らすお薬です。尿蛋白は放っておくとまた上がってきてしまうので、つい最近までディオバンという血圧を下げる薬と、ペルサンチンという血液をサラサラにする薬を服用していました。どちらにも尿蛋白を減らす効果があったのですが、先日、尿蛋白の検出がゼロになったことからペルサンチンを止めて、ディオバンとバセドウ病の薬の2種類を服用しています。服薬は継続していますが、症状がかなり良くなってきているので、最近はその量も減ってきていて、だいぶ楽になりました。
バセドウ病の発覚とIgA腎症の治療がほぼ同じ時期とのことですが、ストレスで荒れるようなことはなかったのですか?
両親によく相談ができる環境だったからというのもあると思いますが、荒れたりはしなかったですね。心配性の母と、どんと構える父親といった、性質の違う2人に相談ができたのはとても良かったと思っています。僕自身も、くよくよ考えすぎたりもしますが、一方で「もうしょうがないか」と切り替えることができると思っています。
ご両親との関係は、ずっと良かったのですか?
一度だけ、携帯電話を買ってほしくて反抗期が来ましたね。教員である両親は「小中学生のあいだは、携帯電話を持たせない」と言っていて、その理由が「コミュニケーションが希薄になってしまうから」といったものでした。
最初は周りの友達と違うことが嫌で嫌で仕方なくて、泣いて反抗しましたが、様々な形で信頼関係の大切さや関わりなどを大切に教えてもらったこともあり、結果的には感謝をしています。家族の存在は大きくて、家族だけじゃなくて親戚や周りの人と一緒に僕に愛情を与えて育ててくれましたし、この両親なら大丈夫だっていう安心感がありますね。
ふたつの疾患があるということを他人にカミングアウトしたのは、いつ頃からなのでしょうか?
発覚してからすぐですね。大学の先輩や、友だちや恋人など、大切な人に隠しごとはしたくないので、オープンにしていました。バセドウ病は20代の女性がなりやすいと言われていたので、当事者である歌手の話題を絡めたりして話していましたね。
ふたつの疾患を抱えている状態で、いま困っていることはありますか?
困っていることは特にないです。腎臓の服薬があるので飲酒に気を使うことはありますが、自覚症状もないので、それ以外は特に。定期的に服薬していることも、量も少ないのでまぁしょうがないかなって思っています。面倒だと思った時期もありましたが、交際している人が理解のある方で、管理をしてくれることで薬をちゃんと飲むようにもなって、症状もだいぶ良くなりました。
子どもと関わる仕事をしていらっしゃるということですが、自分が病気を抱えているということが、仕事にプラスに働いたことはありますか?
例えばADHDの症状を抑える薬など、服薬している子は結構多いんです。なので、薬を飲みたがらない子や、服薬自体を嫌なことだと思っている子に「僕も薬を飲んでいるんだよ」と始めて、「薬に頼ることは間違いではない」「薬を飲んだら負けではない」「病気になったら普通に飲めば良いし、飲んで良くなるんだったらよくない?」といった話ができるのは大きいですね。あとは塩分過多の食事をしている子に、自分をネタに「あんまりしょっぱいものばかり食べていると、腎臓悪くなっちゃうよ」と話したりしていますし、説得力もあると思っています。
それでは最後に、カミングアウトを検討している人にメッセージがあればお願いします。
僕の症状は他の方に比べて軽いですが、他の人に言うことで安心したし、もう隠しておく必要がないといった部分で楽になった自分がいたので、無理して言う必要はないけれど、自分の中で言えるタイミングがあれば、自分のペースで言ってみたらどうか、とは思います。それが60代でも70代でも、周りに伝えて心配してもらう、ということで良いと思うんです。
みんなに心配してもらう、という素直さも必要なのかもしれませんね。鶴川さん、本日は本当にありがとうございました。
インタビューの間、特に印象的だったのは鶴川さんの屈託のない笑顔と、彼から発せられる朗らかで前向きな言葉たちでした。
親や周囲に感謝し、物事の本質を大切にする人間性を形成したのは、鶴川さんが何よりも「コミュニケーションを大切にしていたから」だと感じました。
もっと話してほしい、もっと笑顔を見たい。初対面の人に、そう思わせる鶴川さんの魅力があふれるインタビューでした。
ありがとうございました。
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