ゲイ – 家族へのカミングアウトを振り返る

ゲイ – 家族へのカミングアウトを振り返る

2017年8月7日

カミングアウトストーリー

裕三title

大学生時代、自身がゲイであることを家族に打ち明けるか否か、悩んでいたバブリングメンバーの裕三。些細な親子げんかを機に、その事実が家族に伝わります。カミングアウトを受けたご両親の率直な心情と、その後の関わりとは。10 年のときを経て、親子で当時を振り返る――

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15才、親友と夢の話をして、初めて絶望に出会う
裕三さんが幼い頃はどんな子だったんですか?

母親:幼稚園の時は女の子とばっかり遊んでる子でした。先生にはうちの子、こっち(ゲイ)なのかしらね、なんて冗談話をしていました。中学・高校では吹奏楽部で、女の子の中で男1人みたいだったけど、合宿でみんなと雑魚寝とかしてると聞いて、その中で恋愛感情を持たないのかな、と気になっていました。

裕三さんは、学校生活を通じて、何か違和感を感じることや、苦しいと感じることはありましたか?

裕三:小学校低学年では、男女分かれて遊ぶのが違和感としてありました。何で性別の違いだけで遊ぶのも分かれなきゃいけないんだろうって。俺はどっちとも仲良くしていたかったから。

母親:それはいいことだよね。

裕三さんが、自身でゲイだと気づいたのはいつごろだったのでしょうか?

裕三:おれは物心ついた時から、気になる人は男性だったと思います。でもはっきりと”自分は周りと違うんだ”と感じたのは、中学3年生の頃、親友と将来の夢について話した時でした。親友が、「将来は結婚して、マイホームを買って、自分の子どもとキャッチボールをしたい」と目を輝かせながら話してて。その時に、女性を好きではない自分は同じような夢を描けない。なぜなら普通じゃないから。って突きつけられた気がしました。

その時どんな風にその事実を受け止めてたんですか?

裕三:当時は家族も含め誰にも言えなかったから、すごく悩みました。周りに友だちはたくさんいるし、学校生活は楽しいけど、本当の自分のことを知っているのは誰もいないことに孤独を感じたし、目の前が真っ暗な気持ちになっていました。

ご両親は、その時の裕三さんの状態をわかっていましたか?

母親:わからなかったですね。うちは基本的に家族みんな明るいタイプですし、裕三は学校ではどちらかというとクラスの中心で盛り上げるようなタイプだったのでまさかそんなに悩んでいることがあったとは。

では、中学生の時から自身がゲイだと気づいていたんですね。

裕三:はい。でも中高生の時は、自分がゲイだと信じたくない時期があって、女の子と付き合ってたこともありました。ただ、大学時代からは覚悟して生きていました。

覚悟というのは?

裕三:自分はゲイなんだということを受け入れて、腹括って生きることです。

母親:受け入れなくていいのに(笑)

裕三:ちょっと、こんな対談受けてくれといて、ややこしいこと言わないで(笑)

一同:(笑)

初めてのカミングアウト
最初にカミングアウトしたのはどなたですか?

裕三:さっき出てきた、将来の夢を一緒に話した親友です。部活が休みの日には、いつも決まったホームのベンチに座って何時間も話をするような仲でした。そこでは、楽しいことばっかじゃなくて、喧嘩も何度もしたし、悩んでることも辛いことも互いに全部話していました。だからこそ、自分だけ1つ嘘ついて話していることにずっと罪悪感がありました。

そこから、いつ伝えたのですか?

裕三:高校を卒業する間際です。「ここのベンチで話すこともなくなってしまうんだ」と思ったら、カミングアウトする機会もなくなってしまう、と焦ったんでしょうね。いつものベンチで伝えようとしたんですが、きっと受け入れてくれるだろうと思ってはいたものの、直前まで言おうかどうか迷いました。だから伝え方も遠回りで、関係ない恋愛話をしてから、「実は…」と言ったと思います。

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親友の反応は?

裕三:緊張しすぎてあまり覚えていないです(笑)だけど、すんなり受け止めてもらえた気がします。その後、大学時代にも会っていたし、今も話したいときに全てを話せる相手です。

計画していなかった母親へのカミングアウト
「どうして?なんでうちの子が選ばれちゃったの」と初めは思った母
ご両親にカミングアウトしたのはいつですか?

裕三:大学3年から4年に上がる時です。

母親:就職活動時期の2月です。私が最初に言われたんだよね?

裕三:うん、何て言ったか覚えている?

母親:覚えてるよ。就職試験の時に、服装自由と書いてある企業の選考があって、「そうは書いてあっても、スーツで行かないとだめだよ」って言ったんだけど、言うこと聞かずに私服で行って。帰ってきて「どうだった?」と聞いたら、「私服はおれだけだった」と言うので、それから「なんで言うこと聞かないの」って喧嘩になったんだよね。

裕三:うん。

母親:その中で、「何でお前は、昔から人と違うことをあえてやるのか」と私が言ったら「違うんだよ、おれはーー」って。

裕三:だから、言うつもりは無かった。

母親:あー用意して言ったっていうより、自然の流れで”言っちゃった”っていう感じだったよね。

裕三:そうだね、喧嘩になって、お互いヒートアップして、勢いで言っちゃった。でも、その前から、「(ゲイであることを家族に)一生隠して生きていくのか?」ということは悩んでいて、2番目の兄には唯一言えるかなと考えてた時だった。2番目の兄なら家族の中で関係性も年も近いから話せるかもしれないな、って。

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潜在的にはわかってほしいという気持ちはあった?

裕三:はい、その気持ちは中学生の時に気づいてからありましたね。でもずっと悩んでいましたね。
うちはみんな社交的だし、笑いの絶えない家族だけど、意外と保守的でもあるから。

勢いで言っちゃった後、どうなったんですか?

裕三:ヒートアップしてたんだけど、言った後会話が止まったんです。母親も驚いて言葉が出てこなかった。

母親:こっちだって整理つかないよね。

裕三:おれも、「あっ言っちゃった」と思って、上の部屋に逃げました。

お母さんはそのときどう思いましたか?

母親:複雑な思いでなかなか表現できないですね。戸惑って、色々な考えが頭巡ってました。「やっぱり」と思うこともありましたし、「どうして?何で選ばれちゃったの?」とか、「どうにかならないのかな、変えたいな。変えられるもんなら」っていう気持ちもありました。

子どものころからの様子もみていると、やっぱりなと思うこともあったんですか?

母親:今思い起こせばね。最初から疑いはしないじゃないですか。後から思えば「そういうところはあったな」って。

なんでだろ、という気持ちも?

母親:ありましたね。育て方が悪かったかな、って思うじゃないですか。産んだ時の胎教がよくなかったのか、とか。私は上二人が男の子だったから、女の子を欲しくて裕三を産んだんだけど、「次は女の子を!」という想いが胎教で行っちゃったのかな、とすっごい悩んだ。自分がそうさせたのかなって。身体は男なんだけど、気持ちが女の子になっちゃったかな、って。

裕三:それもあるかなって(笑)

母親:そうやっていじめるんですよ(笑)

裕三:いやいや別にいいんだよ、こう生まれて後悔してるわけじゃないし。

お母さんはそういう人たちを知っていた?

母親:そういう人たちがいるのは知ってた。ただ、全然自分とは世界が違うと思ってたから。そういう人たちは否定しないんだけど、うちとは全然無関係だと思っていた。

父親から言われた「気持ち悪い」
お父様へはお母さんが?

母親:そうですね。当時、単身赴任だったから、どうやって伝えようか悩みました。

裕三:カミングアウトした日は、母親からヒロくん(2番目の兄)に伝わって、3人で話しました。でもその場にお父さんはいなかったから、お父さんが帰省した際、おれもヒロくんもいた時に、お母さんからお父さんに言ったんだよね。

母親:お父さん覚えてる?

父親:うん。

母親:私はあまり覚えてない。

裕三:おれはすっごい覚えてる。

お母様からお父様へは、どんな風に伝えたんですか?

母親:「ゆうちゃんね、男が好きなんだって」かな。

裕三:お父さん、それ聞いて最初になんて言ったか覚えてる?

父親:おれが?忘れたよ、それは。

裕三:最初に「気持ち悪い」って言ったんだよ。それはすごい覚えていて、そのときは「わっ」て驚いたし、やっぱりショックだったけど、きっとお父さんなりの葛藤がすごいあったんだとは思う。難しい顔してたのが脳裏に焼き付いてる。

母親:「気持ち悪い」は、割と他のことでも口癖だからね。

裕三:うん、わかるわかる。だから反射的なものもあったと思う。その当時はわかってなかったけど。それでその後、家族会議みたいになって、親父とお母さんはわからないから、「治せるんじゃないか」「変えられるんじゃないのか」って話をしてきたよね。

母親:そうだったね。

裕三:あと「それは自分のチョイスじゃないの」とか。それに対して、ヒロくんが「そういうことじゃないんだよ」と、おれと両親の間に立って、話してくれたんだよね。

なるほど、2番目のお兄さんが間に立ってくれたんですね。

母親:私たちは病気みたいな感覚に思ってしまったからね。

父親:今でも思ってますよ。

裕三:おいおい(笑)

裕三4

一同:(笑)

2番目のお兄さんは、お二人にどんなことを言ったんですか?

裕三:変えられるもんじゃないし、仕方のないことなんだよって言ってくれた。

母親:それは頭ではわかるけどね。

父親:ヒロくんがそう言ってくれたのかどうか、知らねぇな。

裕三:衝撃が走ってたんだよね、きっと。お父さんは、言われてどういう感じだったの?

父親:びっくりしたよ。変えられるもんなら変えてもらいたい、それだけだったよ。「女の子が大好きな俺が、まさか」と思うよね(笑)

母親:ほんとだよね(笑)

1番上のお兄さんへのカミングアウトはいつですか?

裕三:ハルくん(1番上の兄)はまた別。もう結婚してたから家を出てた。ハルくんには違う日に、おれがいない場だったと思う。「ハルくんに言ったよ」って後で聞いた。おれもハルくんにはもういつ伝わってもいいと思ってた。

父親:でもハルくんは本当受け入れてくれて、よかったな、嬉しかったよ。ヒロもそうだけど、兄弟がちゃんと受け入れてくれたことは。

母親:あとね、長男のお嫁さんが学校の先生なんですよ。だからそういう意味で理解がありましたよね。生徒さんでそういう生徒もいるから、「お母さんいるのよ」って言われました。

父親:そこらで息子たちとおれは時代が全然違うなって感じましたね。だから兄弟が受け入れてくれてよかったなと感じました。本当に嬉しかったですよ。

それから、直接1番上のお兄さんとは話さなかった?

裕三:特にしてないですね。

母親:うちの家族は、こういうことがあっても基本的に改めて話をするタイプじゃないんですよ。照れがあるから。ただ他愛もなく話したりする中で、「受け入れているよ」っていう部分が感じ取れるんだと思います。

その後に起きた両親の変化
LGBTは”フツウ”な存在。頭で分かった今、心がついていくように。
ご両親は最初の「受け入れがたい、治したい」という気持ちからどう変化しましたか?

母親:まずそれ(ゲイのこと)とは関係なく、卒業して、就職して働くことが大切だと思っていました。自分の生活を立てることのほうが大事で、そっちをしっかりしてもらいたい。ただ、仕事をしてお金を稼ぐってことは、遊びもするとは言え、真面目にやっている様子でした。だから変化は、徐々に裕三の生活を見ていて、「しょうがないのかな」という風に思えるようになったのかな。

親からすると、ゲイであるということは衝撃的なことではあるけれども、一方で「どうやって子どもが稼いで生きていくのか」ということの方が大切なんですね。

母親:そうですね。

お父さんは今でも治したいとおっしゃっていましたがどうですか?

父親:月日が経つとね、渋谷区のこととか、世界がそういうことを受け入れる時代になってきたんだなっていうのは思っていますよ。でもまだまだ、マイノリティとして強く生きていかなくてはいけないわけですよね。大変な道を選択したわけだけど、一生懸命に生きていってほしいし、人様の役に立つ仕事だけはしてほしい、それだけが望みです。人様にご迷惑をかけず、人のお役に立つことをずっとしていってほしい、ということです。

社会の理解が進んでいることを感じている中で、それと自分の子どもがっていうのは結びつくものですか?

父親:いやぁそれがなかなか結びつきはしないですね。そういう時代なってきたし、親として少しでも理解してあげないといけないな、とは思ってます。ただ頭では理解しているけれど、心がついてこない。もし全て受け入れられるなら、自分の親兄弟にも、女房の親戚とかにも話すけど、それはまだできないものね、僕の中で。

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ご両親の変化について、裕三さんはどう感じましたか?

裕三:親は親で葛藤してくれているんだな、というのは感じていました。今も変われるものなら変わってほしいと思っているし、100%受け入れてるわけではない。でも、お父さんにカミングアウトして4人で話した時に、お母さんが「普通家族に言えない話なんだろうけど、伝えてくれてありがとう」と言ってくれた。お父さんも、2~3日後に2人になった時、泣きながら「今までごめんな」と言ってくれた。それは自分の中で嬉しかったし、わかろうとしてくれている、という気持ちは伝わりました。

父親:(ゲイであることが)わからなかったからね、本当。ゆうちゃんに悪かったな、って。苦しんだと思うんだよ。それを理解してあげられなくてごめんね、という話はしましたね。

裕三さんがゲイであることを知る前と後では、社会の見方は変わりましたか?

母親:以前より、興味は湧くようになりました。こないだの一橋大学での件も、やっぱり子どもに結びづけますね。それに余計なことだけど、結婚しない子が多いのも、中にはそういう子がいるのかなと。できるだけ受け入れて、頭だけじゃなくて心もついていけるように、と思うけど、いざ息子となると話は別になってくる。でも、さっき言ったように社会にとっての働くことはしているから、少しずつでも受け入れたいな、と思っています。

我慢しなくていい
「受け入れているよ」なんて格好つけなくていい。親子なんだから。
これからカミングアウトしたい人に伝えるとしたらどんなメッセージを?

裕三:「自分のことわかってほしいな」と思った時に、家族や身近な友だちに言えないなら、せめて言える人を探しにいくようなアクションをとっていってもらえたらいいな、と思います。孤独に、孤立にはなってほしくないからバブリングの活動もしているし。あとは、「この人には言えない」と思っているその可能性も、蓋をしてほしくないなって思っています。

なるほど。

裕三:おれの場合、両親二人はさっきも言ってるように心からはまだ受け入れられていません。だからカミングアウトする前も、「言ったら勘当されるかも」と不安になっていました。ただ、しっかり今も関係性を築けているのは、両親が自分の理解を超えても、それでもおれに対してこうなってほしいという想いとか、なんていうか愛情があるからなんだなと感じました。そこが大切なことなんだって今回のインタビューで思いました。

母親:人を理解するのって難しいよね。でも、だからって理解してくれる友だちだけに固執するのはよくないよね。同じような人たちと集まるんじゃなくて、色んな人と一緒にいることが大事だと思う。

裕三:うん、その考え方は自分にも受け継がれているからね。そういう人たちだけで固まりすぎるっていうのはあんまり好きじゃない。

母親:そういう活動ももちろんいいんだけど、あまりに内輪で、受け入れない人を拒否すると、結局同じ考えの人しかいなくなっちゃうから。共存するっていう意味では自由が大切。

裕三:おれがゲイの友だちと中高時代の友だちとかと一緒に遊ぶのが好きなのは、そういう価値観を受け継いでいるからと思う。

母親:そういうのを見ていて、友だち関係がいいからそれはホッとする。人間的にも大きくなると思う。あなたたち(ゲイ)の世界っていうのは、私たちよりも見方が大きいのかもしれないじゃない。色んな世界があることを知っているわけだからね。そういう面で、人の痛みもわかると思うし。ただそれに固執しちゃよくないよ。過剰に労わりあっちゃダメなんだよね。

裕三:うん、そうだね。傷のなめ合いみたいなのはってことだよね。2番目の兄貴が難病の手術で大変だったときも、当事者の集まりには行きたくないっていうのがお母さんの方針だったもんね。

母親:そうそう。それもいいんでしょうけどね。ホっとする部分もきっとあるから。人間って浅ましい部分もあるから、うちの子だけじゃないわ、もっとすごい人がいるんじゃんと思うとちょっと安心したりするもんね。こういう(ゲイの)人たちもそうよね。「うちは言えているから良かった」「ちゃんと働いているからいい」って、そういう部分でどうにか保たれる面はあると思う。

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マイノリティ要素の子どもを持つ親御さんにメッセージをお願いします。

母親:親も、我慢しちゃダメ。綺麗事じゃないから、私なんてもうね、「やだー」「気持ち悪いー」って裕三にこそっと言うし。そんなネチネチはしないけれど、言っているからその素直な気持ちは裕三もわかってると思う。だからそんなに我慢しなくていい、親も。我慢したらまずい。「受け入れてるわよ」みたいな、そんな風にカッコつけなくていい。親子なんだから、お互い正直であることが大事。それは全てに当てはまると思う。

正直であることが大切なんですね。

母親:そう。「いやよー」って言うけど、母親はそう言いながら受け入れると思う。父親とはまた違うかもしれないけれど。もっと厳しい人は、「あんた出て行きなさい、うちの子じゃないわよ」って家庭もあると思うけど、頭の中ではわかっていると思う。親だからね。

あと、友だちっていうのは他人なんだよね。理解してるよって若い人たちは言うかもしれないけど。私も友だちがそうだったら「理解しているよ」って言って、変わらず仲良くするだろうし。それに友だちは選べるんだよね、「この人なら多分大丈夫じゃないかな」とか、「この人に言って受け入れられないならそこまでだなぁ」とか。だけどこれが親子や家族関係だと違う。うちの息子たちは受け入れてくれたけど、兄弟間でも「えーそんな弟いるのやだよ。嫁さんにだって言えないよ」って言う人だっていると思う。だから友だちと親子っていうのは違う。親に言えたっていうのはそれだけ一歩出たっていうことだと思う。友だちは理解してくれるわよ、ある程度なら。

裕三:正直であることは、おれも母親の姿見て大事だって思っている。こういうインタビューもなんだかんだやってくれるけど、直前までヤダヤダ言ってるし。でもそれはヤダって言ってくれているからおれも気遣わずに頼みやすい。これが表面的には賛同してくれるけど、内面ではすごい悩んでる親だったら言えなかったと思う。嫌なことはいやだと言うけど、でもいやだからって全部拒否するわけじゃなくて、受け入れてくれようとしてくれているのはすごい素敵なところだなって思うし、感謝しています。

10年前に裕三がしたカミングアウトについて、改めて語ってくれたご両親。葛藤しながらも息子のことを理解しようとするお父様と、ざっくばらんで明るいお母様。お互い正直であれというお母様の言葉にある通り、お二人ともがまだ受け入れきれない気持ちと、受け入れたいという気持ちを隠さずお話しいただいたのが印象的でした。親へのカミングアウト(特にセクシュアリティに関しての)というのは、いわば「最後の砦」とでも言うべき難しさがあると思うのですが、お互い正直であるということは、その砦に立ち向かう一つのヒントであるような気がしました。インタビューをお受けいただいたお二人には心から感謝致します。ありがとうございました。

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