GID(性同一性障害)ー自分の身体が答えてくれた

GID(性同一性障害)ー自分の身体が答えてくれた

2016年11月26日

カミングアウトストーリー

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セクシュアリティを教えてください。

GID(性同一性障害)のFTMです。

いつ頃から自分のセクシュアリティを意識しましたか?

違和感はたぶん幼稚園の頃からあったと思うんだけど、強く「ん?」って思ったのは小学校くらいかな。小学校入ると、男女で分かれることが増えて、親が自分に与えてくれる物とか扱いが女の子で、兄貴と違うし、なんかちゃうんやけどなーって思ってた。

身体に関して、自分自身での葛藤が生まれたのは、中学校ですね。小学校のときは男女で走っとっても大して変わらないけど、中学校になってくると身体つきが全然違う。初潮がきたとき、あー、女性なんやって思い知らされるし。部活に行っても、女の子は好きなんやけど、運動を一緒にするのは違うなって。サッカーとかドッチボールとか男子のグループに混ざりたかった。

自分の気持ちを誰かに打ち明けたりはしなかったんですか?

小学校の頃は、ないですよね。この服、嫌やわとかはあったけど、そんな気にするタイプではなかった。あの子好きとかはあったけど、別に言わないし。でも、中学校の時はもう女の子と付き合ってました。

その時は、内面の部分も男性を出して付き合っていたんですか?

自分は男だと思っていたけど、男として好きというほど区別はなくて、ただあの子好き、あの子かわいいわ、とか。もうテニス部ばっかり見て。無駄に運動場のぞくとか。
それは別に友達には隠してなかったんで、みんな知っていました。

男性として日常生活を送ることを周りの友達が知っていたということですか?

男として生きるっていうか、普通にセーラー服着てたし。みんなは一応、カテゴリーは女と認識しているから、内面はこうでも、セーラー服着ていて、男女で分かれた時に女の方にいても当たり前。みんなに後で聞いたら、「女・男・白木」と思ってたみたい。
別に自分も男やのにみたいなことも一切言わんと、普通に付き合ってたんですよ。誰も「なんで女なのに女と付き合ってるの」とも言わなかったし。

それってキャラなのかも。白木さんの明るい人柄。

それでいじめられるとか陰で言ってたよとかも聞こえてこなかった。共学だったけど、ないですね。

今はつい心と身体の性を分けて考えてしまいがちですけど、当時ってそこまで考えずに、自分は自分だしって感じだったんですね。周りも白木さん自身として見てたってことですよね。

遠くにいる子は、ボーイッシュな女の子っていうイメージだったんだと思う。

現在は性適合手術もされていますが、いつ頃、自分の中で決意が固まって、行動に移されたタイミングとかきっかけとかありましたか?

対人関係とか性別の対象とか一切困ったことはなかったんですけど、心と身体が合わないことで一番葛藤があったのは高校生の時。17歳の時に、埼玉医大で日本国内第1号の性同一性障害の手術をしたっていうニュースを見て、初めて性同一性障害という言葉と、心と身体が不一致な状態ということを知って、「おかん、これや!」と。
母親も前からこの子、男の子っぽいけど、度が過ぎてる。髪型や言動、持ち物とか、女の子とも電話していてなんか怪しいと薄々感じていたけど、よく分からないから不安だったみたいで。そこで父親にも、もちろん言って。

そこでお母さまと答えが一致したんですね?

ではないんですよ。やっぱりか。なるほど、この子の症状はそういうことか。女なのに。って。そこで家庭内の不和が始まるんですよ。不和って言っても仲いいですけど。
それから、服とか髪型とか、母親は一切受け付けなくなった。なんでそんな髪型してんの。どんな服買ったの。なんでこんなん買うねん!あんた女の子でしょ、と。親父には、もう嫌、もう全部変えたいねん!って話をしたんだけど。日夜、夫婦でこの子の将来どうしようって話してたみたい。

20歳の時に、もしかしたら女になれるかもと思って、そこからぐわーって女になろうとした。ネイルとか化粧とか覚えて、今までの服も全部捨てて、「よし、おかん。今日から女になる」って言って。でも、性対象は女性だし、自分は男性として見てほしいし、なんか違和感あるんよね。でも、ずっと気持ちはぐらんぐらん揺れて。

で、27歳の時に、精神科に何回か通って、やっとGIDの診断書をもらった。そこからホルモン治療を受けようとしたのに、成人してても、親に許可を得てない状態ではできないって言われたんですよ。親には、せっかく女の子として生きるって言っていたのに、やっぱり無理やねんってなるから、通院していることを言ってなかったんですよ。結局、当時のパートナーがどっちでもいいやんって肯定的に言ってくれて。

結局、その時はホルモン治療しなかったんですね。

その頃、不登校の子たちを学校に復帰させるっていう塾をつくっていて、先生としてやるには男女ではいかんなって思って、もう一回女性として生きてみようって決意するんですよ。その後、通信制高校で教えていた時も、めっちゃ楽しいんですけど、自分の人生が幸せかって聞かれたら、それは常に即答でNOなんですよね。
でも、自分らしく、自分のために生きられないなら、人のために生きる方がなんぼかマシやと。それには先生はうってつけなんですよ。ここでね、男に戻るとか、ありのままの自分で生きる道には絶対に戻らないって決めたんですよ。

GIDの診断を受けていても、女性として生きていくと決意したんですね。

結婚さえしてしまえば、すべて丸く収まる。子どもできれば、それなりに幸せを感じられるんじゃないかと思って、30人くらいと見合いしたんですけど、5回くらい食事とか行っても、この人と手をつなげるか、キスできるかとか考えたら、全部そこで止まる。そこで、うそーん。全部、性的なことじゃんって。そこ無理だったら、結婚無理やねんって。

それから、お見合いの相手がみんな高収入だったけど、好きでもない人と結婚するわけだから、そのぐらいじゃ全然足りない。1億ぐらい稼いでるんだったらいいけど、我慢の対価が安いと思ってしまった。別に金をくれって言ってるわけじゃなくて、そのぐらい我慢してるんよ、自分の人生って思って。じゃあ、何を我慢してるの?って気付いて、やっぱり、これ治ってへんやん!って気付いた。うそ!そこ戻る?って。めっちゃがんばってきたのに!女に磨きもかけてきたのに!って。27歳でGIDの診断をうけてから、10年も経ってん。

え、10年!そこまでにすごく長い時間が必要だったんですね。

それがあって、いったん全部棚卸。いったん、築き上げてきたもの、背負っているものを棚卸して、自分の人生に集中せなあかん。本当はどうしたいの?本当は何者なの?って。その時、身体が答えてくれた気がして。女性として生きても、男性として生きても、自分の身体を憎んで受け入れずにきたよね?って言われた気がした。
長い間、意識してなかったけど、37年にもわたって、お前が嫌やって自分に言い続けてきたのに、ずっとついてきてくれた身体っていうのを感じた時に、ほんまにごめんって。今まで自分の指令に付き合ってくれたのに、その身体になにをしてきたんだー!って。俺は何を信じて、何を培ってきたんや。男、女、どっちとして生きるって決める必要はないのかもしれないけど、心と身体にもう一度問い直して、どうしたいか。そのスタートを切ったのが2年前。37歳のとき、あー、やっぱり自分は男なんだって気付いた。

それで、母親と父親に2回目のカミングアウト。本当に申し訳ないけど。すごい悲しませること言うけど。37年間、女性としてがんばってきたから、もう堪忍してくれよって気持ちが強くて。案の定、母親からは、そんな風に戻るなら、もう死んでくれた方がいいわっていう言葉が返ってきたけど、そのぐらい、あなたのことを心配している。これからあなたが辛い思いをするなら、リセットさせたいっていう風に聞こえたんですよね。
それから、2,3か月経って、幸せに生きていく覚悟を決めたんだ。付き合っている人もいてねって話をしたときに、母親の顔がぱーって明るくなって、あんたも幸せになれるのねって。

男性として、女性としてという視点があったかもしれないけど、お母さんにとって、人として幸せに生きてほしいってことなんですね。

もし家族や親せきで会うときに来ないでほしいって言うなら構わないよ。でも、愛情は変わらないからねって親には言っていたんだけど、逆に母親の方から親せきに言って、娘だと思ったら、息子だったわ!って。あんたは堂々として生きたらいいんよ!って。親せきのみんなは、早く言ってくれたらよかったのにって言ってくれて。

お話を伺って、ご両親にカミングアウトしただけでなく、自分の身体にカミングアウトしたんだなって思いました。

本当に自分の身体と対話するって初めてのことだったから。カミングアウトって人に伝えるイメージが強いけど、自分の内側と向き合って、今の不完全なままのこれで幸せなんだって気付く。幸せで生きていくっていう決意する。それが自分へのカミングアウトって気がして。その瞬間に反対する人がいなくなった。

これからどうしていきたいと思っていますか?

本当に怒涛の1,2年を過ごしてきたんですよ。去年は手術して、自分の心と身体のために費やしたい。あとはカウンセラーやりながら、もっとメディアに出ていきたいな。LGBTとかマイノリティだけじゃなく、いじめられている子とか、対人関係とか色んなことで悩んでいる人。今で幸せかもしれないよね。楽しんで今生きていきましょうよ。っていうのを発信していきたい。ラジオに出させてもらったりとか、facebook配信させてもらったりとか、今、動き始めたところ。

発信していきたいと思ったから、OUT IN JAPANに出られたんですか?

実はOUT IN JAPANのこと知らなかったんです。女性として生きていくって思ってたから、LGBTって言葉も知らなくて。たまたま仙台の回にメイクの友達の付き添いで行ったら、写真が飾られてて、めちゃくちゃかっこよくって!そこで、どうやら自分もLGBT当事者だったてことに気付いて、こんなん映りたいわ!ってその場でやることになった。

実名を出すリスクは考えましたか?

決意はない。ずっとネックだったのは、母親に愛されたかったのよ。母親と性のことでトラブルになると、出て行っててずっと言われたから。もう両親に認めてもらえたから、自分がこれでいいと思えた瞬間、周りどうでもいいわーってなって。
あとは、会える友達からカミングアウトしていって、会えない子はFacebookでどーんと発表。だから、いまさらもうOUT IN JAPANとかどうこうってのはなかったな。

これから出てくるカミングアウトの選択を迫られる子供たちに対して、どういったことを伝えたいですか?

特別なことではないってことだよね。カミングアウトもそうだし、セクシュアリティも。
みんな自分が特別だから、自分の悩みが一番深いと思っているけど、他にもそういう人もいるって知ることかな。

思春期の頃って、自分の意見って言っても、まだ正誤判断の基準って親なんですよね。高校生にもなってくると、もう自分の基準、自分がハッピーになれるような基準でいいよって言いたい。もしあなたが不安だったとしたら、間違った基準を信じちゃっているのかも。あなただけの道があっていいから。まずは自分を信じていいから。
もうセクシュアリティを超えた話になってくるから。自分のやりたいことを叶えるためにどうしたらいいか考えるのが、知能、知性っていうか。そういうのを教えていけたらいいなって思う。

それから、僕はカミングアウトすることがいいとは思ってない。自分が言わない方がいいって思えるんだったらそれでいい。カミングアウトできないというのと、しないというのじゃ意味合いが違う。カミングアウトしないことへの罪悪感がある方がナンセンスだと思う。自分を責めるっていうのが一番よくない。DoじゃなくてBe。どっちを選んでもそれでいいって思えるのが、Beだと思う。

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