[連載]カミングアウト日記 第5回

2016年3月17日

コラム

この新コラムは 最近バブリングのボランティアをスタートしたNORI(ゲイ・31歳)が今年の正月に和歌山に住む家族へカミングアウトするまでの状況・心境を1か月前からつづった日記を連載コラム形式でお届けします。リアルな今の心の心境・赤裸々に語った過去、家族の話。全力で自分とそしてカミングアウトと向き合ったストーリーです!

nori

本日は第5回。前回のストーリーはこちら

12月25日(金)「身体」
少しずつ体調が回復しつつある今日。体調を崩すと改めて気付かされることがある。当たり前かもしれないが健康であることの大切さである。
振り返れば大きな病気も、手術をしたことも今の一度もない。そう思うと健康な身体に産んでくれた両親に感謝の気持ちがわいてくる。そして身体が弱ったときにふと思い出すのも、子どもの頃、体調を崩したときに看病してくれた優しい温かな母の姿である。
きっとあのぬくもり、あのまなざしはこれからどんなに年を重ねても忘れることはないだろう。

12月26日(土)「母」
母は優しい人だった。そしてほんわかしていて少しボケた人だった。
和歌山の田舎の港町で漁師の娘として生まれた母は、田舎特有の素朴なのんびりとした雰囲気がある。厳しい父とは対照的で母は穏やかで怒られることもあまりなかった。僕が小さい頃、海で浮き輪で沖まで行ってしまったとき、慌てて急いで泳いで迎えに来てくれたこと、父に家を出て行けと言われ、途方に暮れて近くを彷徨っていたら、心配して探して見つけてくれたこと。
思春期にあるような言葉遣いや態度が悪くなってしまったときだっていつだって母は僕を迎え、受け入れてくれた。大切に思ってくれているのが伝われば伝わってくるほど、心をさらけ出せない自分に嫌気がさし、距離を取りたくなり、なんとなく心の距離を取ってしまっている僕がいた。
それは今も変わらない。きっと母はカミングアウトをしても受けてくれるだろう、そんな気はしている。だからきっとカミングアウトをして変わるのは僕の方かもしれない。そのときまであともう少し。

12月27日(日)「電話」
実家に帰省するということを言わなければいけないと思いつつも、何かと理由をつけて後回しにしていて、でもさすがにそろそろ連絡しないと本当にまずいなと思っていたところ、一本の電話が入った。母からだった。
「今年はやっぱり帰ってくるのは難しそうなんよな。」と母。
「いやあと4日後くらいには帰ると思う。」と僕。
「なんで帰ってくるの?。」と母。
「いや話したいこともあったし、ちょっと。結婚とかそうゆうんちゃうから、あまり期待してほしくはないんやけど。」と僕。
母は笑いながら「なんで?って聞いたんは電車とか、飛行機とか、バスのことやで。まぁでもほんま嬉しいわ、待ってるな。」と答え電話を終えた。
どうやら僕の頭の中はカミングアウトのことでいっぱいらしい。
まぁでも土壇場で怖気つかないように、予め電話で話したいことがあると伝えておこうと思っていたことはうまく伝えることが出来た。
また一つカミングアウトに近づけたと同時に、プレッシャーを感じつつも、なぜか心は少しだけ軽くなった。

12月28日(月)「野球少年」
彼との出会いは約4年前。前職の病院の小児科で働いていた頃に出会った。当時彼は小学6年生。彼は男性から繰り返しの性被害を受け、PTSDを発症、入院に至った。野球をしていた彼。加害者は野球部のコーチからだった。そんな彼は僕にとても親しみを持ってくれ、どの他のスタッフよりも大切に思ってくれていたようだった。彼が中二のときに退院、僕も似たような時期に退職という形で離れたのが、それ以降も連絡を取ったり、たまに会ったりとつながりは持っていた。
そんな彼と今日1年ぶりに再会した。野球少年だった彼は立派な高校球児になっていた。見た目も、頭も、性格も良く、スポーツもできて、何でも揃っている彼だが、当時の辛かった過去を話せ、理解し、相談できる人は本当に数少ない。
その中の一人が僕。
いっぱい遊んでいっぱい話した後に彼は遠慮がちにこう話した。
「できればさ、野球の試合に観に来てほしいんだ、あとさ、また会ってほしい。」と。
なんとも言えない嬉しさが僕の中に込み上げてきた。必要とされること、シンプルなことだけど僕はそれが本当に嬉しい。春に再会する約束をしそれぞれ家路へと向かった。
彼の存在はカミングアウトが全てだというわけではないことを教えてくれる。同性からの性被害を受けた彼にとって、僕がゲイだという事実は、今の彼にはあまりにも酷な現実で、悩み苦しみ、辛い思いをさせてしまうだろう。僕が僕らしく素直に生きることも大切だが、その前に守るべきものを大切にしたい。彼がしっかり前を向いて大人になっていけるように、ちゃんと見守って支えていくこと、それは僕が何より大切にしたいこと。
だから僕はフルカミングアウトをして生きていかない、遠い未来のその日が来るまでは。

12月29日(火)「東京」
東京で生活を始めてもう6年目になる。
25歳の誕生日を迎えるとほぼ同時に東京に移り住んだ。仕事も家も特に何も決めていなかった。何とかなるだろうという気持ちと、どうとでもなれという気持ちが入り交じっていた当時。上京した理由はいくつもあるけれど、「何かが変わるかもしれない。」そんな気持ちを抱いていたことは今でも覚えている。
それからいろんなことが、本当にたくさんのことがこの街であった。良いことも、悪いことも、楽しいことも、辛いことも。数えきれない人との出会いもあった。
どんなに時間が経っても、大都会や人混みにはなんだか慣れない僕はやはり田舎者である。たくさんの刺激や多くの人たちに心がなんだか疲れてしまうこともあるけれど、確実にここで過ごした日々が僕を大きく変えてくれた。何より出会えた人たちのおかげである。今こうやって親へのカミングアウトという一歩を踏み出そうとしているのも、もう僕は一人じゃない、と思えるから。
それがとても僕の力になっている。そして今東京を発つ。
少しの間だけれど、少し寂しい気持ちになるのは、この街が僕にとってまた一つの故郷になりつつあるのかもしれない。

12月30日(水)「帰省」
「カタン、カタン」
鈍行電車が揺れる。
僕の故郷は和歌山駅から南に一時間ほど更に電車で下っていく。
電車も1時間に1、2本ほどである。もう何度この電車に乗っただろうか、決まっていつも右側のシートに座る。
僕の大好きな海が車窓から見えるからだ。いろいろなことが思い出させられる。
大学生の頃、帰国した頃、東京での日々、いつだって帰省するときはこの景色。
10年以上経っても何も変わらない。
カミングアウトが近づいてくると思って、心はもっと動揺しているかと思っていたが、今の僕の心はなんだかとても穏やかに落ち着いている。
なんだかそのとき思ったんだ、「あー、この感じは覚悟を決めたときの気持ちだな。」って。

今までも何度かこの感覚は感じたことがある。きっとカミングアウトをしようと決心していたけど、覚悟はできていなかったのだと思う、今まで。
ようやく決心から覚悟に気持ちが変わったのだ。
こうなった僕はきっと僕に負けないだろう。
あとはそのときがくるだけだ。

–WriterProfile—————————————-
NPO法人バブリング Nori
男性
セクシュアリティ:ゲイ

大阪で生まれ、現在は児童福祉の現場で働きながら
バブルバーにも不定期でカウンターに入る。
カミングアウトと向き合い、葛藤しながらも自身の経験を伝える為に筆を執る。
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